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鳥山明 リンク集

鳥山 明(とりやま あきら、1955年4 月5日 - )は、日本の漫画家、キャラクターデザイナー。愛知県名古屋市出身[1][2]。現在は、同県の清須市に在住。プロダクションは「BIRD STUDIO」(バードスタジオ)。妻は漫画家のみかみなち。 1978 年「ワンダーアイランド」でデビュー。主に『週刊少年ジャンプ』に作品を発表。代表作『Dr.スランプ』『ドラゴンボール』はいずれもTVアニメ化されており、『ドラゴンボール』は2008年時点で単行本42巻と完全版34巻を合わせて1億5000万部以上、全世界で3億5000万部を超えるヒット作となった[3]。『Dr.スランプ』で第27回(1981年度)小学館漫画賞少年少女部門受賞。2006年の日本のメディア芸術100選では、『ドラゴンボール』がマンガ部門3位に選出されている。 1980年-90年代の「ジャンプ黄金時代」の立役者であり、元『週刊少年ジャンプ』編集長・西村繁男は、「『少年ジャンプ』の600万部の快挙は、鳥山明の破壊的なパワーを借りて初めて実現しえたことは、誰も否定できないだろう」と述べている[4]。 『ドラゴンクエストシリーズ』をはじめ、ゲームのキャラクターデザインも手がける。

小さい頃から、絵を描くことが好きな子供だった。子供の頃、通っていた絵の教室で描いた『101匹わんちゃん大行進』が表彰された事で、絵を描く事に自信を持ったという[5]。小学校の写生コンクールでは何度か賞を貰い、高校時代には美化キャンペーンのポスターで全国高校生の部で入賞している[6]。担当編集者の鳥嶋和彦によると、家は貧しかったが、両親共にのんびり屋の性格で、夕食を食べる金がないからと、代わりに2人でワルツを踊るような人だった。そして、子供時代の鳥山は、腹を空かせながら漫画を描くのを唯一の楽しみにしていたという[7]。 幼少時は、漫画やアニメに熱中したが、小学校高学年以降は、映画やテレビドラマに興味の対象が移り、漫画に触れる機会が無くなっていた[8]。しかし、絵を描く事は好きで自信もあったため、愛知県立起工業高等学校デザイン科を1974年に卒業した後、デザイン会社に就職。そこでチラシなどを作っていたが、結局サラリーマン生活に嫌気が差し、2年半ほどで退職した。辞めた一番の理由は、「朝早く起きるのが辛い」というものだった[9]。 退職後は、気ままな生活を送っていたため、金銭的に困る事になるが、たまたま手に取った『週刊少年マガジン』で、新人賞への応募作品を募集している記事を見つける。賞を取れば賞金50万円が手に入ることを知り、賞金のために23歳にして初めて本格的に漫画を描き始めた。結局『週刊少年マガジン』の新人賞の締め切りには間に合わず、毎週作品を募集していた『週刊少年ジャンプ』へ作品を投稿するようになった[10]。この頃は『スター・ウォーズ』のパロディなどを描いていたという[11]。 当時の鳥山の作品は、新人賞には及ばないものだった[12]ものの、鳥嶋和彦は鳥山が作中の描き文字(擬音、擬態語など、写植以外の文字のこと)をカタカナでなくアルファベットで描いていることや、色々なものを色々な角度から描けること、絵が丁寧に描き込まれている事にセンスを感じ[11]「今は下手だが頑張れば何とかなるかも」とアドバイスをした[13]。そして鳥山は厳しくボツ(不採用)を出す鳥嶋の元で懸命に修行することになる。この間のボツ原稿の総量は、1年間に500ページにも及んだ[14]。

1978年11月(WJ52号掲載)に、読み切り作品『ワンダー・アイランド』が『週刊少年ジャンプ』に掲載されデビューを飾ったが、アンケート結果は最下位であり[15]、その後『週刊少年ジャンプ』本誌や増刊号で発表した短編作品の人気も、芳しいものではなかった。鳥嶋に促されて描いた、1979年の読み切り作品『ギャル刑事トマト』は、鳥山が本来苦手とする「女性を主人公とした」作品だったが、評判が良く、これを機に『週刊少年ジャンプ』での連載が決まった(この時期に描かれた作品は、主に『鳥山明○作劇場』に収録されている)。 1980年開始の初連載作品『Dr.スランプ』は、いわゆる「博士物」であり、鳥山は、当初は自称天才科学者、則巻千兵衛を主役と考えていたが、鳥嶋のアドバイスを受け、少女アンドロイドの則巻アラレを主人公に配し、千兵衛は脇に据えた[16]。これが功を奏し、『Dr.スランプ』は当初より人気作となった。1981年より『Dr.スランプ アラレちゃん』としてTVアニメ化もされ、最高視聴率36.9%を記録し歴代アニメ最高視聴率で3位になる[17]など大ヒットアニメとなった。 『Dr.スランプ』連載1年目は、3日に1回しか寝られなかった[18]、最高連続徹夜6日を記録した[19]、ペン入れの記憶がない回がある[20]などと、多忙を極めた。連載は5年程度続いたが、アイディアが不足してきたということで1984年に終了させた[21]。 1984年、『Dr.スランプ』終了後すぐに『ドラゴンボール』の連載を開始、この作品が鳥山の漫画家としての大きな転機となった。主人公・孫悟空の冒険譚として始まった作品で、当初はアンケートでも大きな反響は無く、人気は低迷していた[22]が、次々登場する強敵と戦うことを中心としたシリアスな物語となることで人気を獲得。1995年まで11年もの間連載が続き、親子2代の壮大なスケールの作品が描かれた。1986年から1997年まで3つのテレビアニメシリーズが制作され、第2シリーズ『ドラゴンボールZ』は、6年間の放送で平均視聴率20% を超えている[23]。アニメに関しては『Dr.スランプ アラレちゃん』から『ドラゴンボール』『ドラゴンボールZ』『ドラゴンボールGT』『ドクタースランプ』(『Dr.スランプ - 』のリメイク)と、1981年から1999 年にかけてフジテレビ系列の毎週水曜19:00 - 19:30は、鳥山原作のアニメが放映されていた。 また、1990年から1994年には『ドラゴンボール』の連載と平行して、『ブイジャンプ』および『Vジャンプ』で『貯金戦士キャッシュマン』『DUB&PETER1』『GO!GO!ACKMAN』を不定期で連載した。

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